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牧場実習のこと

 今年もいよいよ8月に突入したわけであるが、僕の所属する動物科学課程では、8月の初旬に3年生が「牧場実習」を行う。

 

 農学部付属御明神牧場(雫石町)にて3泊4日で主に肉牛の飼養管理や牛の行動観察、繁殖管理、牧草収穫業務などを体験するわけである。僕はこの牧場実習でウシの繁殖管理に関する実習を担当しているのだが、毎年、この「牧場実習」の頃になると、自分が学生時代に経験した「牧場実習」を思い出す・・・

 

 我が母校・帯広畜産大学では大学構内に付属牧場があり、一般的なウシの飼養管理や搾乳、繁殖関連の実習は日頃からみっちりこなしていた。そのため、我が母校における「牧場実習」というのは、学部2年生か3年生の夏期休暇中に個人の酪農家や肉牛農家に泊まり込みで実際の牧場業務を体験することであった(全員必須の実習であった)。実習期間は、なんと1ヶ月間。基本的にその間はずっと農家に泊まり込んで実習にあたらなければならなかった。

 

 僕は、学部2年生のとき、北海道は占冠村トマムの肉牛農家で「牧場実習」を行った。実習に入る前は、牛の給餌や子牛の保育、その他牧場業務全般を体験するものだとばかり思っていたが、実際は違っていた。実習期間、すなわち7月下旬から8月いっぱいまで、牛に触れる事は一切、本当に1回も無かったのである。では、1ヶ月以上も何をしていたのか?

 

 そう、採草地(牧草地)でひたすら「乾草上げ」をやっていたのである。今から25年も前のことである、まだ乾草はロールベールではなく、まさにコンパクト(キューブ)の時代であり、1個30Kgほどの牧草コンパクトを、朝6時から夜7時ころまで、えんえんと、まさに「えんえんと」採草地に積みあげ、それをトラックにのせ、乾草庫に再度積むという作業を約40日間続けたのである・・・

 

 北海道といえども、8月の、しかも内陸部トマムの牧草地は暑い。しかも刈ったばかりの牧草から立ち上る水分で湿度もハンパないのである。ひたすらダダッ広い牧草地のあちこちにヘイベーラーがポンポンと落としていくコンパクトを採草地の数箇所にまとめ、積み、雨に当たらぬようビニールシートをかけ、数日後、トラックにのせ、乾草庫へ・・・

 

 暑さや湿気だけがつらいのではない。30Kgをこえる牧草を束ねるコンパクトの細いワイヤーが皮手袋ごしに指の関節に食い込む、その激痛に顔がゆがんだ。乾草の壁がある程度の高さになると、さらにその高い位置に上げるためにコンパクトを一気に放り上げるときには全身の筋肉が悲鳴をあげた。

 

 それを一日10時間以上、それを40日間・・・

 

 コンパクトを上げながら、もうろうとした頭で、実習初日に親方(北海道では個人経営の牧場の主人を「親方」と呼ぶ)とかわした会話を何度も反すうした・・・

 

「澤井君は畜大生なんだから、牛の扱いなんか「いまさら」っしょ!」

 

「はい!糞だし、搾乳、哺乳も一通りはできます!」

 

「だべ!だからオラんちに居る間はよう、

乾草やってもらうかな?いいべか?」

 

「はい、なんでも頑張ります!」

 

 

まさに、「生きていること」を呪ったのは、その夏が最初で最後だった・・・

 

 

 さすがに雨が降ったときは、牧草作業は休みだった。逆に、雨が降ってる時間だけが唯一の休みであった(もちろん、朝10時のおやつや、昼飯、3時のおやつ、5時のおやつのときは休憩があったが)。毎朝、親方の家で朝飯をかき込みながら、朝5時のNHKのニュースで天気予報をみながら一喜一憂した。北海道内陸部に「晴れ(太陽)マーク」が並んだ画面に嘔吐した・・・雨マークの日は(その夏、そんな日は3日もなかったが)、いつもより一杯余計に卵ご飯をかき込んだ。そしてもう一度寝床に戻り、コンコンと眠った・・・

 

 実習が始まって2週間たったころである。その日も、この世に産まれて来たことを呪いながら、午前中ひたすらコンパクトを積み続けた後、母屋の台所で、昼飯に親方の奥さんが作ってくれたおにぎりを麦茶でムリクリ喉に落とし込むように食べていたら、自分と同じくらいの年齢の男女4名(♂2名と♀2名)が大きな鞄を下げてやってきたのである。

 

「あっ、澤井君、紹介するわ。彼らは東京のXX大学の畜産学科の学生さんで、これから5日間、うちに実習に入っから!」

 

 嬉しかった。これで、あの地獄のコンパクト上げの負担が軽減される!5人でやれば、乾草上げも少しは楽になるやろ!

 

 そう思いながら、北海道の牧場には少し場違いとも思えるいけてるファッションに身を包んだ男女4人を眺めていた。その時、やおら親方が切り出した言葉に、思わず咀嚼していたご飯粒を吹き出してしまったのである。

 

「君たちは牛に触った事あるかい?

ん?触ったことない!そうだべね。

だら、きみたちはこの5日間は思い切り牛に触れて、

牛と友達になったらいいべさ!楽しいよお〜♪」

 

「ありがとうございます♪

わーい、私たち、子牛に哺乳するの、本当に楽しみにしてたんです♪」

 

 東京の学生たちは、その日から、楽しく子牛と触れ合っていた。そして、私は、その日も、その次の日も、またその次の日も、あいもかわらず我が身をひたすら呪いながら、一人、えんえんとコンパクトを上げ続けたのである・・・

 

 東京の学生さん達が、5日間、北海道の牧場生活(?)をエンジョイして、そして奥さんから朝採りのトウモロコシをいっぱいもらって、喜んで帰って行った後も、何事もなかったかのように牧草作業は続いたのである。

 

 

 もう、とっくに汗も涙もゲロも枯れ果てていた。ワイヤーの食い込みで指の関節がうまく動かなくなって、すでにNHKの天気予報に一喜一憂することなく、無表情で画面の太陽マークをぼんやり眺めるようになったころ、ようやく9月の声をきき、ついに僕は乾草上げから解放されたのである。

 

 

 その日、ついに大学に戻る(戻れる)という日のことである。

親方に押印をお願いしていた実習証明書(確かに1ヶ月以上実習をしたという証明書)を受け取りに母屋に出向くと、親方と奥さんがそろって玄関先に座っていた。親方から実習証明書を受け取ると、その証明書の上に封筒が一つ置かれていたのである・・・

 

「あの、これ?」

 

「いいんだ、いいんだ

実習だから学生には絶対に金を払うなって、大学の事務から言われてっけど、これは「気持ち」だ。うちは今年、澤井君に草上げてもらって、本当に助かったんだ。」

 

「でも・・・」

 

「大学にはだまってれ。それでいいんだ!」

 

親方のかたわらにいた奥さんも、うんうんとうなずき、

 

「本当に、いい草、あげてもらって・・・

 

といいながら、エプロンの端でひっきりなしに目頭を押さえていた。

 

「東京の学生は、しょせん、お客さんだ。

牧草作業なんてさせたら半日ももたん。」

 

「けど、畜大生は違うんだ。毎回、本当に頼りにしてんだ。

だから澤井君の頑張りにすっかり甘えてしまってよ・・・」

 

「なにやってんだ、さ、早く封筒しまえ!

帯広まで、気を付けて帰えんだぞ!」

 

そう言うと、親方はさっさとトラクターに飛び乗って、刈り残した牧草地にすっ飛んでいった・・・

 

 

 

 JR石勝線、アキアカネが乱舞するトマム駅のプラットホームで僕は一人、ベンチに腰掛けて、帯広行きの普通列車を待っていた。

 

さっき親方にうながされるままあわててザックに突っ込んだ封筒を取り出し、そっと開いた。

 

 まっさらの、本当にまっさらのシワ一つない1万円札が、きっちりと12枚。

 

1万円札を数える手が震えた・・・

震えが続く手で1万円札を封筒に戻し、

そして、ベンチで一人、天を仰いだ。

 

 

 あの夏、僕は、質の良い乾草をあげるために農家がみせる鬼気迫るほどの執念に少し怯えながら、牛を飼って生きるとはどういうことなのかを、自らの体重を5Kg減らすことと引き換えに体で理解したのである。

 

そしてなによりも、

僕は、「労働の対価」というものを、

あの夏、あの日、初めて知った。

 

それが僕の「牧場実習」である。

  

澤井 健

2014年8月1日