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卒論のこと

 我が研究室でも、いよいよ卒業論文のための実験が本格化し、3名の4年生たちはそれぞれ毎日忙しい日々を送っている。4月から5月にかけて卒論の背景や目的、実験方法を僕と議論し、それらが固まると僕や大学院生の先輩の指導を受けながら各自実験を積み重ねていく。もちろん、研究室のルーチンでない実験、すなわち先輩たちがやったことない実験に関しては僕がマンツーマンで指導して、必要な実験手技を身につけ、やがて自分一人で実験をこなすようになる。4年生にかぎらず学生たちの実験指導や実験がうまくいかないときのトラブルシューティングで学生と一緒にベンチに座る時間が実に楽しい。

 

 実験指導で学生たちの手元を注視していると、時折、自分の卒論実験を思い出す。

 

 母校・帯広畜産大学では家畜生産科学科の肉畜増殖学研究室に所属した。当時、研究室の教授は臨床繁殖学がご専門の小野斉先生(現帯広畜産大学名誉教授)、助教授は家畜の発生工学がご専門の福井豊先生(現帯広畜産大学名誉教授)、助手は家畜育種学の寺脇良悟先生(現酪農学園大学教授)であった。僕は入学当時からウシの発生工学に興味があり、是非、研究室は増殖学研究室に入って、福井先生の下で研究したいと思っていた。無事に(?)、お目当の研究室に入室でき、望み通り福井先生に直接ご指導をいただきながら卒論実験を行うことになった。当時すでに福井先生はウシの体外受精(IVF)胚に関して世界的なお仕事をされており、さらにヒツジの季節外繁殖、特に腹腔内視鏡を用いた人工授精(AI)による季節外繁殖でも著名であった。先生は、僕が4年生になるころ、ニュージランドでの長期在外研究を終え帰国され、さあ、これからウシ胚に関する初期発生研究をさらに発展させるぞ!みたいな勢いがあった。

 

 僕は、福井先生から卒論テーマとして「ウシ卵子の単為発生に関する研究」をいただき、体外成熟(IVM)したウシ卵子を活性化し、それら単為発生胚の体外発生能を調べることになった。単為発生は研究室でも初めての試みだったので、僕の卒論に関しては、毎回、福井先生から直接実験指導をいただいた。というか、当初は福井先生が実験をする横に私がチンマリと座って、先生の「ケンちゃん(僕は先生からそう呼ばれていた)、そのピペットチップとってくれや」とか「ケンちゃん、カルチャーディッシュ、もう一枚だせや」などという指示にしたがって実験補助をする日々が続いた。実験の補助をしながら、卵子や胚を扱う福井先生の流れるような手つきや、ピペットの扱いを間近でみて、「ああ、すげえなあ、やっぱ福井先生はすげえや!」と感動しきりだった。

 

 実験では、ウシ卵子を単為発生させるため、通常20-22時間のIVMを数時間延長し、卵子を過成熟状態にしてから7%エタノールによる活性化刺激を与える方法をとっていた。IVMの開始は夕方からなので、IVM開始27時間とか30時間後に行う活性化刺激は、毎週、深夜になった。深夜からの実験なのに、福井先生はいつも、「ケンちゃん、今日も21時に研究室集合や・・・」とおっしゃり、夕食をとりに一旦自宅に帰られる。そして、21時すぎに缶ビール6本とピーナツ1袋をかかえて研究室に戻ってこられるのだ。

 

 「7%エタノールで卵子を活性化する前に、まずは4.5%アルコールで自分を活性化や・・・」

 

 いつもそう言って、缶ビールをプシュと開けて、おいしそうに飲み始めるのである。もちろん、毎回僕も、お相伴に預かった。実験を始める時間になるまでの数時間、研究室で、福井先生と二人、缶ビールを飲みながら、いろいろな話を聞かせていただいた。先生がオーストラリアの大学で博士の学位を取られたときの話、先生が滞在されていたニュージランド・ルアクラ研究センター(アグリサーチ)の話、家畜の発生工学研究の話、大阪の串カツ屋の話(先生も大阪出身だった)。そして、缶ビールを飲んで自分たちが十分活性化されたころ、今度は卵子を活性化した。ときに僕は、ビールを飲み過ぎてしまい、結構手元が怪しい時があったが、福井先生はどんなに飲んでも、卵子や胚を扱う手元は絶対に狂わなかった・・・

 

 僕の卒論実験は、おもしろいデータが上がって、Molecular Reproduction and Developmentという英国の専門誌に掲載された。もちろん、論文を書いたのは福井先生であり、僕はセカンド・オーサーに名前を入れていただいた。すなわち、卒論研究としては大成功だったし、研究をどのように組み立てて、どのように実験を遂行し、そして、どのようにそれらをきちんと国際誌に載せるのか、まさに研究の一連の過程を一流の研究者の隣で体験できたことは、その後の僕の研究者人生の大きな糧となった。

 

 ただ、福井先生と行なった卒論実験は、僕にとってそれ以上の意味があった。毎週、毎週、あこがれの研究者とマンツーマンでビールを飲みながら様々な話ができたのだ。ぼんやりとした憧れでしかなかった研究の世界の輪郭を福井先生は最高の方法でハッキリと見せてくださった。実験が中盤にさしかかるころには、大学院進学を決意した。けれど、当時、帯広畜産大学には修士課程はあったが、博士課程がなく、博士課程進学を視野に入れて修士課程に進む場合は、修士課程から博士課程がある他大学に進学するのが一般的だった。なので、博士課程を目指す先輩は、家畜の発生工学の世界的研究者であった丹羽晧二先生のおられた岡山大学など他大学に進学していた。僕も複数の先輩たちが在籍していた丹羽先生の研究室へ進学することを決めた。

 

 岡山大学に進学することを、福井先生に告げたのは、いつものように実験前にビールで自分たちを活性化している時であった。それまで、楽しそうにビールを飲まれていた先生が急に沈黙され、そしてボソッと「ケンちゃんが博士に行く頃、たぶん畜大にも博士課程ができるんや。このままうちに進学したらどないや・・・」とおっしゃったのだ。

 

 僕は、結局、博士課程設立が確定していない畜大ではなく、岡山大学の修士課程に進学した。僕が博士に進学した年、福井先生がおっしゃったように帯広畜産大学には、岩手大学、弘前大学、山形大学との連合大学院として博士課程ができたが、僕は、そのまま岡山大学で博士の学位を取った。

 

 岡山大学を修了したあと、北海道庁の新得畜産試験場の研究員となり、福井先生には変わらず色々とご指導いただいた。また、新得から岩手大に赴任し、同業者のはしくれとして、当時先生が指導されていた博士課程学生の学位審査でお役に立てたことが何よりも嬉しかった。そして、自分の教え子が他大学に進学するということを幾度か経験し、あのときの福井先生のお気持ちをようやく真に理解した。

 

 学部を卒業してはや28年が過ぎようとしているが、4年生の卒論実験の指導を行っていると、今でも鮮明に、卒論実験で福井先生と飲んだビールの味を思い出す。

 

 記憶の中のその味は、実に芳醇で、そして少しほろ苦い。

 

澤井 健

2020年8月14日