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就活のこと

 日本中、いや世界中が大変な騒ぎとなっているなか、研究室の何人かは元気に就活中である。どうか新型ウイルスの感染にだけは気をつけて、頑張ってもらいたい。

 

 実は、「就活」というものをしたことがない。いや、ここでいう就活とは、民間企業の説明会に行き、面接に行って、内定をとる、という意味の「就活」であるが。学部卒業や修士修了時での就職は一切考えなかった。学部卒業時は、バブル崩壊(今の若い世代は?だろうか)の直前で、史上空前の売り手市場だった。同級生たちは、東京や大阪に就活に行き、内々定後に企業から東京ドームの野球観戦に招待された、とか、最終面接は、帯広―東京の交通費(もちろん飛行機の)がでたうえ、豪華レストランで役員と食事した、とか、そんな会話があちこちで飛び交っていた。「なんだ、就活って結構楽チンだな」と思ってしまったのも無理もない。そんでもって修士修了時、バブルがはじけ就職超氷河期に入りつつあったが、それでも同級生たちはなんだかんだ就職を決めてきたので、「やっぱ、就職はいつでもできんじゃん」という実に恐ろしい誤解を持ったまま、博士課程に進学したのである。

 

 博士課程の3年間は、恩師お二人のおかげもあり、充実した研究生活を送った。もちろん、実験が進まず苦しんだことも多々あったし、半年分の実験データを「あんた、これ、全然あかんわ、もう一回初めからやり」と一瞬でリジェクトされ、目の前が真っ暗になったこともある。それでも、丹羽先生と奥田先生から、「研究とはなにか、研究者としてあるべき姿とはなにか」を学び、自分も、もし可能なら研究者になりたいと思った。そのころのことについては、「国際学会のこと-2」と「国際学会のこと-3」をチェケラ!

 

 当時、研究者になるには、博士課程修了後に外国にポスドクに行くことが一般的であった。研究室の先輩もみなそうしていた。今は、国内でも数多くのポスドクの募集があり、ポスドクも必ずしも海外に出る必要はない。しかし当時は、ポスドクといえば海外一択の時代であった。なので、博士課程に進学した時は、「まあ、僕も海外にポスドクに行こかな」となんとなく考えていた。

 

 状況が一変したのは、博士課程3年の時に、結婚するという暴挙にでたためである。「なんとなく海外でポスドク」も自分一人だから許されるのであって、嫁さんを連れて不安定なポスドクなんて論外、しかも海外でなんて・・・と超アセってしまった。今、冷静に考えれば、実力や将来のビジョンがしっかりしていれば妻帯してたって海外でポスドクをやり、その後パーマネントのポジションをゲットすることは、もちろんできるし、そうしている人もいっぱいいる。しかし、あの当時、「自分の能力にイマイチ確証はもてない、けどやっぱ研究の道に行きたい、けどパーマネントのポジションやないとかみさんを幸せにでけへんのとちゃうか?、けどパーマネントの研究職ってどこにあんねん?」と、「けどけど沼」にはまっていた私には、もはやポスドクの道は選択肢から消えていたのである。

 

 毎日もんもんと悩んだのでいたのであるが、「民間企業の研究職ならどないや!」と閃いた。しかし、「博士をとってくれる民間企業は極めて少ない、そもそも家畜繁殖学の研究ができる民間企業などない」との先生の言葉にうちひしがれた。そんなとき、一筋の希望の光が差し込んだ。「農林水産省の畜産試験場の研究員はどうだろうか?」と。博士課程の実験で、ブタ胚のGSH濃度の測定をしなければならず、筑波の農水省畜試の研究員だった高橋昌志先生(現北海道大学教授)にご指導いただいた。当時、高橋先生はお若く、研究室の先輩みたいな感じで親しみやすかったうえ、実に楽しそうに研究されているお姿に好感をもっていたのである。「僕も農水省畜試の研究員になれたら」と考えたのも無理もない。

 

 しかし、問題は、農水省畜試の研究員になるには公務員試験に合格する必要があったことである。しかも難関の国家公務員I種試験に。現在、農水省畜産試験場は、独立行政法人の農研機構となり、職員の採用は独自の試験を行っている。また、博士号取得者は選考採用といって専門性を考慮した特別枠の採用も多いときく。しかし、当時、選考採用はあったことはあったけど、その数は少なく、一般的に農水省畜試に入るには国家公務員I種試験(畜産職)にパスする必要があったのである。

 

 というわけでポスドクは無理、民間企業もない、もう残された道は国家公務員試験合格しかなかった。博士課程2年生も終わりに近づいた1月、悲壮感ムンムンで公務員試験の勉強を始めたのである。もちろん研究室での実験があるので勉強は深夜に帰宅してからであった(公務員試験が近づいたころは一時実験をストップして勉強時間を確保したが)。確か一次試験は4月末だったので、試験まで時間がなかった。公務員試験経験者はわかってると思うが、専門(畜産)の勉強以外にも、「数的推理」や「暗号解読」など、「一体この試験はなんの能力を測るんや?!」とブチ切れたくなる(実際にブチ切れていたが)科目の勉強もしなければならない。本当に極限まで追い込まれる状況の中で、死ぬ気で勉強した。「人生で一番勉強したのはいつ?」と聞かれたら、多くの人は大学受験の時と答えるだろう。私は違う。人生で一番勉強したのは、公務員試験の時である。キッパリ!

 

 夜、研究室から帰って、下宿の共同浴室でシャワーをあびる。そして自室の小さな机で、公務員試験の参考書を開き、「いろはにほへと暗号」や展開図問題と格闘した。家畜栄養学や家畜育種など繁殖学以外の専門分野の知識は、超分厚い「畜産大辞典」をまるまる覚える勢いで、わら半紙にひたすら書いて覚えていった。公務員試験間近には字を書きすぎて腱鞘炎になっていたほどである。毎晩毎晩、ひたすら勉強した。窓の外が白み始めてようやくベットに潜り込む。3時間後には起きて、研究室に行かなければならないから、すぐに寝付きたいのに、「公務員試験に合格できるのか?もし落ちたら僕は研究者にはなれないのか?」との思いが駆け巡り、なかなか眠れない。あそこまで追い込まれた経験は、人生初であったと思う。ちなみに、大学教員になってからは、「科研費が通るやろか?もし通らへんかったら、うちの研究室はどうなるんやろか?」と、あのころと同じレベルで(いや、それ以上に?)追い込まれている。ともかく、崖っぷち感満載で、公務員試験に挑んだ26歳の冬〜春だった。

 

 で、結果はどうなったのか?なんと合格したのである。一次試験を突破し、二次試験もクリア、めでたくも国家公務員試験I種合格者名簿に名前が記載された。当時、私の本籍地は京都であったが、国家公務員I種合格者名簿が京都の地方新聞に載ったらしく、驚いた親戚のおばさんが親父に電話してきたほどである。

 

 けれど、人生、山あれば谷あり。国家公務員になるには試験に合格するだけではダメなのである。国家公務員試験合格者は入庁面接という面接を受けて、その最終面接に合格した者だけが、晴れて国家公務員として採用されるのである。もちろん、私も霞ヶ関にある農林水産省の本省で入庁面接を受けた。受けたのだが、面接官に、「あなたは農林水産省に入って何をしたいんですか?」と聞かれて、「筑波の畜産試験場で家畜繁殖分野の研究がしたいです」と答えた。面接官が、「そうですよね。博士まで出るんだから、研究以外に興味ないですよね?」と笑って聴くから、こちらも最高のスマイルで「はい!」と答えた。面接官の表情が、一瞬曇ったように見えた。今ならわかる、正解の返答はこうだ。「いえ、もちろん研究には興味ありますが、行政にも興味があり、我が国の畜産を維持発展させていくために、どのような仕事でも全力で取り組みたいと思います!」

 

 入庁面接の結果は下宿の電話で聞いた。「大変残念ですが、今年、畜産試験場の繁殖分野の研究員の採用はありません。もちろん澤井さんの農林水産省への採用はありませんね」あの日、西日射す部屋の片隅で、受話器を握りながら、「絶望の姿」をこの目でハッキリと見た。ただ、不思議と涙はでなかった。

 

 けれど、捨てる神あれば拾う神あり。国家公務員試験と並行して受験していた北海道庁に私は採用されたのである。面接では同じように「(北海道立)新得畜産試験場で、家畜繁殖分野の研究がしたいです!」としか言わなかったのに、希望通り新得畜産試験場の研究員として採用していただいた。北海道庁の採用通知と新得畜試への配属の内々の連絡をいただいたとき、涙がとめどなくあふれた。27歳の晩秋のことだった。

 

 というわけで、私は、いわゆる就活というものをしたことはない。けれど、もしあの公務員試験受験経験を就活として良いのなら、私は全身全霊で就活したと胸をはって言える。そして、「内定が一つもとれなかったら」というプレッシャーも、面接に落ち「お祈り」されてしまったときの気持ちも痛いほどわかる。

 

 毎週のように深夜バスで東京に行き、面接に挑む学生や、文字通り、国家公務員や地方上級の公務員試験に全力で挑む学生に日々接している。就活に疲れ果てた、または、公務員試験のプレッシャーに押しつぶされそうな彼ら彼女らの背中を見るたびに、心のなかでそっと声をかける。

 

「大丈夫、捨てる神あれば拾う神ありなんや・・・」と。

 

人は一生のなかで何度か、人生を賭けた闘いに挑む。就活は間違いなくそのうちの一回だろう。学生さん達には、後悔のないように納得いくまで就活を頑張ってもらいたいし、それをかげながら応援している。そして、1日でも早く彼ら彼女らの就活が(希望通りの結果で)終わり、就活に使っていた時間とパワーを卒論、修論の実験にぶつけてもらうことを、切に願ってやまない今日この頃である。グットラック!

 

澤井 健

2020年4月15日